雑感

評価なんかくそくらえ。給料がどうとか研究費がどうとか。
学問のモチベーションってそんなもんやないねん。
評価されるってことは「役に立つ」か「役に立たないか」
が日本では主要なポイントだけど、それを考えた瞬間
サイエンスはサイエンスでなくなるねん。
 
「最先端」とか「流行」ちゅうのは
テクノロジーにはほめ言葉かもしらんけど
サイエンスやってるもんにとっては自分の研究に言われたりしたら
馬鹿にされとると感じるねん。
人と違う事してなんぼとちゃうか。
そう大切なのはオリジナリティ。
南部さんの仕事だってその時の流行からはずれて
片手間にやってたことと言っておられた。あれを謙遜に
とる人はサイエンスがわかってないねん。

あぁ、サイエンスとテクノロジーといえば
子供たちの理科離れにロボットで興味ひかすってのがどこかで
あったけど、ロボットの研究は通常サイエンスではないわな。
テクノロジーや。本当に子供たちに純粋に理科そのもの
に興味を持たすというのには、ちょっとずれてると思う。
まぁ、これは理科の本質を見誤ってしまっている方々の
子供の理科離れを防いで将来の日本の技術立国を
妨げないようにしようとする
不純な」動機のためだとは思うけど。

教育に関しては次のことが言いたい。
学生にいろいろ教えてて本当にうれしい瞬間って
その教育や結果が「上に」評価されてたり、その結果給料が
上がったりしたときか?違うやろが。
(まぁ、教育の評価は難しいし
通常あんまり大学ではなされませんけどね。
なんでやろねぇ、教員やし教育職のはずなのに。)
 
一生懸命に何か得ようとしている学生の真剣な眼差し。
わからなかったことがわかったとき、
できなかったことができるようになったとき、
そのときの学生のうれしそうな笑顔。
それらに勝る報酬はない。
 
「独法化」で最もおびやかされて、
劣化する可能性が高いと危惧せなあかんのは以上の点やろ。
学問と教育にとって「単純に」競争や評価とか効率だけが
重要じゃないねん。もっと大事なことがあるねん。
 
お金が少なくなったとか評価が厳しくなったとか
仕事が増えたとか、表っ面のことばっかり気にしてると
足元からすくわれてしまうと思う。
その「もっと大事なこと」に早く気がついて欲しい。