魂の記憶

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魂の記憶―宇宙はあなたのすべてを覚えている

魂の記憶―宇宙はあなたのすべてを覚えている

Amazonなか見!検索で見つけた
P142に中島みゆきの「六花」と
中谷宇吉郎の「雪は天から送られた手紙」に
関する記述がある。
個人的にはこんな使い方をしてほしくない。
 
あちこちに論理の飛躍のある 
宗教がかったとんでも本のようだ。
 
今回の該当部のみに関して言えば
そもそも上空の条件に対して雪の形は一意に決まるが
雪の形に対して上空の条件は一意に決まらない。
「記憶」していることにならないのではないか?
 
単なる因果関係を「記憶」と呼び
そのことから演繹的に何か言うのはまずいと思う。
 
追記
Amazonなか見!検索を使って幾つか本を買ってる。
中島みゆき」で検索すると184件ヒットする。
流石になが〜い本の中、たった一ヶ所「中島みゆき」と
いうワードが入ってるだけでその本を買うのも度が過ぎてると
思うので複数載ってるのをとりあえず買ってる。
(流石に複数出てくると思いつきだけではなく著者の
思い入れを感じるからである。)
 
あれ?ということはこの本ももう一ヶ所以上あったんだ
と思い調べなおすと
P37に「HALF」を使ってた。
確かにこの曲のテーマも少し宗教がかってるところはあるんだけどね。
あぁ、ここもこういう使い方をしてほしくないかな。
 
不思議なことの存在は認めるし、そのことを色々とりあげるのはいいけど
科学でない方法であたかも科学の振りをするのはどうなんでしょう?
 
結局、今、ちゃんと説明ができないことすべてを、何かよくわからない
もののせいにするだけってのは何も言ってないのと同じでは?