便所の貼紙

 繁華街の公衆トイレのピンクチラシじゃねぇんだからトイレの壁を
いろんなクラブやサークルの勧誘ビラで埋め尽くすのはやめてもらえんかな。
一つがやったらすぐマネをするオリジナリティ、アイデアの無さ。
そもそも貼るのはいいけど、いつはがしに来るつもりやねん?
(ここ重要、それがあっての「自由」とちがうか?)
 いくつかは連絡先のQRコードまで付いとる(苦笑)。
トイレで携帯電話のカメラ起動させたら、そら、変態やろが。
 
 そんな中になんと複数のボランティアサークルのビラがあった。
(うちみたいな小さな所に複数あるのも少し驚くけど)
まぁ、奇麗にしとかなあかん公共の場所に、べたべたこんなビラはるようじゃ
そのどれもボランティアサークル失格ですわ。普段何考えて活動してんねん。
 個人的には、今の大学生にはボランティアもいいけど、肩ひじはらずに
まずは日常生活の手近なところ、自分の身の回りでいいから、他の人のこと、
所属するグループ全体のことを考えた小さな善行を日々行って欲しい。
普段が自分勝手なのに、ボランティアをするんや、世のため人のため、
社会のためなんやなんてゆーてたら笑っちゃうでしょ。
(それともそれでプラスマイナスバランスしてるつもりなのか?)
 
どうも、彼らからすると日常と非日常は全くの別次元の物らしい。
「普段のなにげない善行」と「ボランティア」は全く「別もの」。
似たような話で
仲間との愛と友情のテレビドラマに感動し涙する男が平気で自分の仲間は簡単にいじめたりする。
「おかしいんとちゃうんか?」と指摘したら、「それとこれとは別」と
答えられたことがある。なんでやねん。
 
あと、どうも世間は名前をつけてカテゴライズすると
ひと段落してしまうところがあるような気がしてて。
「いじめ」「ハラスメント」「おたく」「ニート」「引きこもり」・・・
どれもそう。名前なんかどうでもいいのに。
それに該当するかしないかなんて馬鹿げた議論を繰り返すよね。
 
名前という意味では
「ボランティア」も「ボランティア」という名前を付けてカテゴライズされた
時点で少し不幸な道を歩んでしまってるような気もするのですが。
(肯定的に感じる人と否定的に感じる人に極端に二分化してしまってるのが特に。)